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暗くて長くて面白くもない昔話

 

これはもう覚え書きみたいなものなので、読まなくても全然いいやつです。

 

前回少し触れたが、私には高校時代に明確な人生の転機があった。

 

1つ目。

成績で欠点を取って選抜メンバーから外されたこと。

 

これだけのことなのだが、それがほんとうにほんとうに大きなことだった。

軽音には、スニーカーエイジという大きな大会がある。

中学1年生の頃、この大会で準グランプリをとった高校が県内にあると知り、塾の先生に止められながらもそんなに頭の良くないこの高校の受験を決め、無事合格。

春のオーディションから夏休みは毎日練習、予選を乗り越えて、12月の本戦に向けてまた練習練習練習、、、

朝は日が昇る前に家を出て、夜は最終下校時刻まで練習だ。

 

私は1年生の頃からメンバーに選ばれていた。

1年目のスニーカー。何年かぶりの予選落ちだった。

悔しさをバネに挑んだ2年目。無事予選突破。

予選4日前に軽トラに跳ねられ骨折した腕でステージに立ったのはいい思い出だ。

 

オーディションでは各パート補欠メンバーも選出される。

補欠メンバーは毎年、毎日毎日自分が出ることのできない練習をいちばん近くで見て、当日は客席から全力の応援をする。

そんな、誰よりも苦しい立場で大会を目指した補欠メンバーが私にもいた。

1つ下のイヴ。私が名付けた。いつもらみさんらみさんって言って懐いてくれていた。

 

そしていよいよ6日後に本番を控えた12月某日、
ここで成績が発表され、私の出演資格がなくなった。

 

当時の日記なのだけれど、自分の戒めに時々読み返すようにしている。 

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家に帰って両親に報告した。私はなるべく気丈に振る舞ったのに、2人の驚く顔を見て涙が止まらなくなった。あの時の2人の顔は一生忘れられないだろうなぁ。

 

2つ目の失敗。このことを受け入れられなかったこと。

 

私はこの日から2日間の記憶がほとんど無い。ほんとうに死んだみたいだった。昼間は直前練習で指導をして、もちろん居場所なんかどこにも無くて、帰ったら部屋に閉じこもって泣いた。必死で受け入れようとした。それでも涙が出るばっかりだった。

 

2日目の夜、母が部屋に来た。

母は、私すらも見捨てた私の気持ちに初めて味方になってくれた。

自分に素直になって、やれるだけのことはやってみよう。そう言ってくれた。

 

次の日、私はバンドメンバーと部員全員に頭を下げて、校長先生のもとへ直談判に向かった。

どうなるかは分からない。きっと出られない。それでも想いをぶつけてみよう。そう思っていた。

 

校長先生。生徒からはよくモノマネでディスられたり、厚化粧とか言われていたおばさんの先生。先生は穏やかだった。私の話を最後までしっかり聞いてくれた。それから、

規則は規則だからどうすることもしてあげられない。ただ、この経験は必ずあなたのためになるよ。

そう言ってくれた。

 

バンドメンバーのもとに行った。みんななら私を受け止めてくれる、そう思っていた。

メンバーの空気は今までになく重かった。

 

本当に悲しくて悔しいけど、先に進まなければならない。だから成績発表の後、みんな声を出して泣きながら演奏した。イヴは決意を固めて頑張ってるのに、まだそんなこと言ってんのはあかんよね。

そう言われた。そこでイヴが堪えきれなくなって、今までに聞いたことのない大きな声で

「そんなに出たいんだったら、らみさん出させてあげてください 私は大丈夫ですから」って泣きながら言った。

このとき、私はどれだけ自分が馬鹿なことをしたのかということをちゃんと頭で理解した。

初めて心の底からのごめんなさいを言った。

 

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あの日のあの瞬間まで、私は自分の気持ちが何よりも大切で、強い思いは伝えれば受け止めてもらえると思っていたし、そうであるべきだと思っていた。

でも、そうじゃなかった。誰かの気持ちもその人にとっては大切な自分の気持ちで、自分の気持ちと同じだけ人の気持ちも大切なのだ。そのことに気が付いた。

それ以来、私は何をするにも周りの目が気になるようになった。そのせいで未だに面と向かって人と上手く話せない。

 

翌日から私は補習期間に入り、追試を余裕で合格した。勉強嫌いはここまできたらもう反省も何も無かった。

やればできる と言う言葉があるが、それはやれない人のための言葉だ。私は勉強に対する努力を怠ったせいで長年の夢を逃してたくさんの人を傷つけ、そして勉強をしたから追試に合格した。

 

グランプリ大会は、みんなに黙って客席から見届けた。

あんなに全てを捧げてきた憧れの7分間はあっという間に過ぎ去って、

それがどこの学校よりもこじんまりしていて、心に何もかすらなくて、悔しさも感動も無くて、それがまた悔しくて、

その虚しさは誰とも分かち合えなくて、心からのお疲れ様が言えなかった。
私ただ1人だけ、グランプリ大会を終えることができなかった。

 

年明けから練習に復帰した。部長としての威厳を完全に失い、何をしていても誰かの視線を感じていた。あんなにも音楽をするのが辛かったのはあの時だけだ。

2014年1月7日、部長を再投票することになった。

先生はこのまま降りてもいいと言った。

でも、私は部長になった時から、みんなは私の強みも弱さも認めた上で全力で支えてくれて、みんながバランスとってくれてると思っていた。

部長というよりも、部員代表。

だから、すごく自己中だけど、元々私はこういう部長です。降りて誰かに交代するぐらいなら、私は嫌な顔されることなんて構いません。だから続けさせてください。こう言った。

 

結果は過半数以下で私になった。

先生は、「半数以上は反対だと言うことをしっかり理解してこれからも頑張ってください」と言ってくれた。

 

それからはもう、慎ましく、肩身の狭い思いをしながら部長を全うした。

3年生になり、自分の過去を知らない後輩ができてからは少し調子を取り戻せた。

 

3年間を通して、模範の部長では決してなかったけど、みんなと一緒に1人の「部長」を作れたように思う。

そして何より、私自身、この経験を通して何倍も大きくなれた。

 

この先も、あの場で過ごした全てがきっとこの先の自分を突き動かしてくれる。
立ち止まったとき、踏み出す勇気になるはずだ。

 

以上、これが私の暗くて長くて面白くもない昔話だ。

最後まで読んでくれた人がいたらなんかごめんなさい。

あなたの知ってる私はどんな私ですか?